アルマトイの地名

日本語に広く定着している「アルマトイ」は町の名前のキリル文字綴りをロシア語の日本語転写の慣例によってカタカナに写した場合、「アルマトゥイ」となるはずのものを、さらに「トゥイ」を「トイ」に略したものである[要出典]。カザフ語の発音に近い「アルマトゥ」と書かれることもある。
アルマトゥ (Алматы) は、1921年に現在のカザフスタンの前身である自治共和国が成立する前から町を指して使われていたカザフ語の名称であり[4][5]、19世紀にロシア人がこの地に進出した後もカザフ族からはアルマトゥと呼ばれることが多かった[6]。語源は「リンゴの里」であり、かつては町の近辺にリンゴ林が広がっていたが、現在は都市開発に伴ってリンゴの樹は数を減らしている[7]。
かつて、日本を含め国際的にはこの町はアルマ・アタ Алма-Атаという名称で呼ばれていた。これは、カザフ語ではなくロシア語での呼称で、ソ連時代に事実上の公式名称となっていたものである。アルマ・アタ(英:Alma-Ata)は、カザフ語でアルマ (алма) は「リンゴ」、アタ (ата) は「父」を意味するため、「リンゴの父[8][9]」を意味していた。現在でもアルマ・アタの呼称を用いる人は、ロシア語話者を中心として、内外ともに少なくない。
町の元になったヴェールノエ要塞の語源は、「忠誠の土地」である[9]。
 
参照元:Wikipedia「アルマトイ

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